思い出 倉木麻衣さんと過ごした時間

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倉木麻衣さんと過ごした時間

2009年9月10日 

最近、KOSEの化粧品のCMで倉木麻衣さんをよく見かけるのですが、テレビやCDショップで倉木さんを見かけると、いつも思い出す出来事があります。倉木麻衣さんは、2001年4月に立命館大学産業社会学部に入学しました。私も同年同月に立命館大学法学部に入学し、入学式があった京都府立体育館には多くの報道陣が詰掛けていたのを覚えています。その時は、学部も異なるし、一学部の一学年に1,000人近くの学生が在籍しているマンモス大学なので、間近で会うこがあるとは思っていませんでした。

どのくらいの大学風景かというと、新しく国立大から招かれた教授が、大学の昼休みの光景を「ここは、大阪梅田か!」と例えたくらいに通勤ラッシュのような学生の数に圧倒されるところです。

2回生の後期の定期試験(2月の最初の週くらい)のことです。通常の定期試験を風邪で受けることができなかった私は、追試を受けることになりました。ちなみに、今はどうか知りませんが、立命館は、通常の定期試験で成績の悪かった学生に対しては、追試で合格という救済はなく、体調不良などのやむを得ない理由のときのみ教授会の認可によって受験できます。

追試は2月に入ってからで、私は、刑法各論を追試で受験したのですが、その追試会場の教室に行くと扉に名簿が貼ってあって、そこに私の名があって次に目にとまったのは「倉木麻衣」の名でした。

いろいろと法学部内の学生の間でも噂はあって、倉木さんの本名は「××麻衣」だとかあったのですが、後に私のゼミの教授に聞いたところでは、学内では通称名で通すということになっていたそうです。ちなみに立命館の卒業アルバムの名前は「倉木麻衣」と書いてありました。

話は戻りますが、名前を見たときは大変に驚きました。倉木さんは、産業社会学部の科目を追試で受けることになっていたのですが、あまり他学部と追試を同じ教室で実施するというのは珍しいことでした。

そして、教室に入った私を更に驚く事態が待っていました。

教室の黒板に座席表が書いてあって、名簿の左端にある番号と座席表の番号と同じところに着席するように指定されていました。そこで見たものは、私と倉木さんが同じ机の両端に座ることになっているではありませんか!!

私はもう一度、名簿と黒板の座席表を見直しましたが、やはり同じ机です。思わず名簿に学生証番号が書いてあって、メモしてしまいました。そのメモしたものが、今でも残っています。かなりミーハーな私です。

座る机ですが、どこの大学でもよく似た造りになっていますが、長机に固定椅子のタイプで、私の席は4人掛けの長机で、つまり、私から二つ席を空けた所に倉木さんが座るということです。

私が席に着いた時には、まだ、倉木さんは来ていませんでした。

私は、席に座って六法を見たり教科書を見たりして、試験時間が来るのを待っていました。でも、私は、まだCDやテレビに出られている倉木麻衣さんかどうかというのは、半信半疑でしたし、たとえ本人だとしても来ないかもしれないなと思いながら時間を過ごしていました。

ちなみに、大学や科目を担当する先生によって異なりますが、立命館の六法の法律専門科目は、基本的に六法を試験時に持ち込むことができました。

追試開始

そろそろ試験の開始の時間がやってきました。その時、教室の後ろから一人の女性が入ってきました。最初は判らなかったのですが、その女性が私の隣に座りました。私のイメージでは、当時の倉木さんはジーンズにTシャツというCDジャケットやプロモーションビデオが多かったので、そういうイメージだったのですが、もちろん冬なのでTシャツはあり得ませんが、その女性は、全身が黒で統一された落ち着いた感じの衣装でした。でも、顔は倉木麻衣さんでした。プロモーションビデオやCDの写真で見るよりも細い顔立ちで、小柄な方でした。でも、そこから、私の苦闘が始まりました。

私は、倉木麻衣さんの熱烈なファンではありませんでしたし、もちろん、立命館に倉木さんを目当てに入学したわけでもありませんでしたが、絶大な人気がある方というのは承知していましたし、曲も聴いたことがあります。当時は、テレビには出演されることも少なく、コンサートのチケットは入手不可能とかで、いわば大物スターですよ。その本人、、倉木さんと同じ大学に通っているからにはすれ違うことはあるかもしれませんが、その・・・二つ席を空けた同じ長机に座っていて、私の席の一つ空けたところには、倉木さんの手荷物が置いてあるんです。もちろん私物ですよね。そして、手を伸ばせば届く位置で、同じ空気を吸っているわけですよ。これは物すごい出来事で、通常の生活ではあり得ないことなわけで、いわば極めて異常事態ですよ。

私は、倉木さんが座っている隣をチラチラ見るのも失礼だと思うし、ジーっと見るのはもっと失礼なのですが、だからといって、見ないようにと思えば思うほどに一挙一動がすっごい気になるし、どうしたら良いのかわからなくて、普通にしていればいいのでしょうが、よほどに芸能人が嫌いとか興味が全く無いという方意外は、あの状況では、はっきり言って無理です。

そして、試験が開始になりました。私は刑法の試験なので問題文を読んで、恐喝の罪にあたる事案だなとわかり、六法で恐喝の条文を引こうと思い「恐喝は詐欺の章にあり、刑法の条文の後ろの方だったな」と記憶していたので探すのですが、全く恐喝や詐欺の条文が見つかりません。ちなみに刑法は1条から264条までで詐欺は刑法246条以下で恐喝罪は249条にあります。時間も過ぎていくし焦りが出てくるし、それでいて、未だに倉木さんの一挙一動が気になるし、というので、私の刑法の試験は混迷を極めていくことになります。

仕方がないので、刑法1条から目を皿のようにして探していくことにして、実際は、刑法の条文の前半は罪に関する条文ではないので無意味なのですが、パニックに陥っています。それでも条文が見つからないので、条文なしで答案を書きました。

それで、倉木さんは、別の産業社会学部の科目でどんな試験かは知りませんが、答案を書いては消してを何回もしていてを繰返し、それが、シャープペンの後ろについている小さい消しゴムで消しているのがもの凄く気になりました。途中で、私の消しゴムを貸そうかとも考えたのですが、試験監督者から不正行為といわれても困るので、それもできませんでした。

試験が終了し、試験監督者から各自で答案用紙を前に持ってくるように指示があったので、私も答案を持って行く時に、もともと席は一番前だったので、倉木さんの前を通り、そこで、「消しゴムをお持ちでないですか?まだ、試験があるのでしたら、これを使いますか?」と声をかけようと思い(男子学生ならそのままですが、普通の女子学生なら間違いなく声をかけてます)倉木さんに目が合った瞬間に睨まれたので声をかけることができませんでした。

睨まれた理由は、机の上に追試の受験許可証が置いてあり、これは追試を申し込む際に教授会に提出する書類で、住所が書いてあるので、それを隠すためかもしれませんし、芸能人ということで色々とあるでしょうから、何らかの警戒心だったかもしれません。

その後の刑法の追試の結果ですが、評価は「D」で4単位を落としました(涙)。他の同じ日の追試の結果は「A」とか「B」とかだったのですが。。

4年間の大学生活で、この出来事は鮮明に記憶してます。何しろ60分余りの間、有名人がずうっと隣に居たわけですから、そういう機会は、たぶん、私の人生で今後もないことでしょう。そして、大学生活で、唯一、声をかけなかったことが心残りです。

これからも、そして、いつまでも、倉木麻衣さんには活躍していただきたいです。

倉木麻衣公式WEBサイト